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川端、三島ら未公表書簡1千通 舟橋聖一宛て昭和文壇史の資料





川端、三島ら未公表書簡1千通 舟橋聖一宛て昭和文壇史の資料
【 2015年07月09日 08時57分 】
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20150709000023

幕末の彦根藩主・井伊直弼を描いた小説「花の生涯」で知られる作家舟橋聖一(1904~76年)宛てに、川端康成や三島由紀夫ら文学者が送った未公表の書簡千通近くが、滋賀県彦根市立図書館・舟橋聖一記念文庫や東京都の旧宅に保管されていることが8日分かった。ノーベル文学賞受賞前に川端が谷崎潤一郎を同賞に推すことを知らせた手紙などを含み、研究者は「昭和文壇史が詰まった貴重な資料だ」としている。

舟橋の遺族が寄贈したり、東京都の旧宅に残されたりしていた手紙やはがきなどを国際日本文化研究センターの石川肇研究員が預かり、調査を進めている。

1955(昭和30)年2月6日付の手紙で川端は「谷崎(潤一郎)氏をノオベル賞に推せんの事は二月一日ペンクラブ例会で予期通り異議無く賛成を得ました」と報告している。続いて、舟橋と川端作品の翻訳者だったサイデンステッカーの3人で、ノーベル賞の件で話し合いを持つ予定だったことが記されていた。

谷崎は50~60年代に複数回、ノーベル文学賞の候補に上がっていたことが判明している。手紙は川端自身が68年に受賞する前で、谷崎の「蓼喰ふ虫」を候補として推薦していた。

石川研究員は「川端ほどの作家が相談したように、舟橋聖一は文壇で力を持っていた。手紙で当時の文壇での位置づけが分かる」と話す。

他には原爆文学の名作「黒い雨」の井伏鱒二や林芙美子、プロレタリア文学の中野重治、「どくとるマンボウ」シリーズの北杜夫、評論家の小林秀雄、詩人萩原朔太郎ら昭和の文壇を彩った作家の書簡が数多く残されている。

中曽根康弘元首相ら政治家、歌舞伎役者の十一代目市川団十郎や女優淡島千景などの書簡もあり、文壇以外に幅広い人間関係を構築していた様子が浮かび上がる。読者から絶大な人気を誇った舟橋の下に多くの人が集まり、大きな影響力を持っていたことが理解できる。

■舟橋聖一 戦前から戦後にかけて活躍した小説家で「新・忠臣蔵」「ある女の遠景」など多くの代表作がある。幕末に幕府の大老を務めた彦根藩主の井伊直弼の生き様を描いた「花の生涯」は、1963年に初のNHK大河ドラマになった。芥川賞選考委員や国語審議委員、横綱審議委員などを務め、1975年に文化功労者に選ばれた。彦根市が「舟橋聖一文学賞」「舟橋聖一顕彰青年文学賞」「舟橋聖一顕彰文学奨励賞」を設けている。




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